古事記と音楽をつなぐ数字の謎
日本の神様に興味を持ち、神社巡りが趣味の私。そのきっかけは古事記を読んだことでした。
古事記は色んな訳が出ていますし(漫画まで!)、解説本もたくさんあるので、関連のものを読み漁っていたのですが、何冊か読むうちに、何と音楽との共通項が見えてきたんです。
古事記(こじき)とは
古事記は712年(和銅5年)、太安万侶(おおのやすまろ)によって編纂され、元明天皇に献上されたと言われている、日本最古の歴史書です。
古事記は読んだことがなくても、その中で語られる天照大神(アマテラスオオミカミ)や素戔嗚尊(スサノオノミコト)、大国主命(オオクニヌシノミコト)と言った神様の名前なら、聞いたことがある方も多いかと思います。
また、因幡の白兎は有名なお話ですし、鶴の恩返しや一寸法師に似たエピソードが出てくるのもまた、古事記です。
古事記に頻出する「八」という数字
そんな古事記を読んでいると、面白いことに「八」という数学がよく出てきます。例えば、
- 八岐大蛇(ヤマタノオロチ)
- 八雲(ヤクモ)
- 八十神(ヤソガミ)
- 八咫烏(ヤタガラス)
…などなど。あ、ちなみに八咫烏はサッカー日本代表のシンボルマークですね。
日本語には「七」がつく言葉も多い
よくよく考えると、日本語で「七」という数字も、目にすることが多いですよね。例えば、
- 色の白いは七難隠す
- なくて七癖
- 七光り
- 七転び八起き(あ、八も入ってる!)
「七福神」や「七草」なんかもありますね。日本限定じゃないですが、一週間も七日です。
音楽でもよく出てくる「七」「八」
音楽で「七」「八」といえば、例えばドレミは7種類(ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ)。
鍵盤の数だけだと、半音を含めて12音となるので12進法だけど、半音は「ド♯」「ミ♭」などと表すように、幹音(白鍵=ドレミファソラシ)の派生音として扱われるから、7音を核として考えてます。
そしてもちろん、1オクターブは8度です(ド〜高いドまでの鍵盤数を数えるとド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ドと8つで、この音の幅(音程)を8度と言います)。
和音記号では属七、減七など…コードネームでは7thと言ったりしますが、第7音を含む和音もたくさん使われます。
例えばC7(へ長調で言うと属七の和音)だと、ドが根音(第1音)、ミが第3音、ソは第5音…といくと、第7音はシ♭。ドミソ(C)の和音に、第7音を出すとC7になります。
「数える」ことの限度
以前読んだ『音楽と数学の交差(桜井進・坂口博樹 著、大月書店)』によると、数の初源は「1」「2」「3(=たくさん)」なんだそうです。
ですが、人間が指を使って数を数えることを始めた時に、その限度は「5(片手)」「10(両手)」まで拡張され、更に足の指も使うことで「20」まで達しました。
でも、この説のように指の数を基準にすると、「七」や八」ってもの凄く中途半端ですよね。では一体どこからこの数字が出てきたんだろう?と思っていたら、知人より、
人間が数えられる限度が「七」で、それ以上である「八」は「とても大きいもの」をさすから
という説を教えていただきました(諸説あって、「末広がりの八」説も有力だとか)。
なるほど、10や20は指の問題だけど、7や8は脳の認知の問題という訳ですね。
そういえば昔、「虹が七色で描かれるのは、人間が認知できる色の数の限度だから」と聞いたことがありましたが(虹は国によって4~6色の場合もありますが)、それと同じ理屈ですね。
つまり古事記で「八」が多いのは、人間が数えることができないほど大きい数を名前に冠することで、そのものが人間と比べてどれほど大きいか、あるいはどれほど優れているか、人ならざる神であると表しているのではないでしょうか。
まとめ
古事記と音楽という、国も時代も異なる2つに共通項が見えたので、両者の繋がりを期待したのですが、どちらかがどちらかへ影響を与えたと言うわけではなくて、脳の認知の問題が、古事記と音楽それぞれに影響を及ぼしているという訳でした。
そう思うと音楽だけでなく、色々な分野でこの数字が出てくるのかもしれませんね。
古事記を読んでほしい!
古事記って聞いたことはあるけど、実際読む機会ってなかなかないですよね。
ちなみに三重県のホテルでは聖書と並んで古事記が置いてあることが多いので、見かけたらぜひ読んでみてください。漫画版も、入門編にはおススメです。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません